けいのおと

日々の記録・本棚・好きなモノ語りの場所(になる予定)。まだまだ手探り中です。

当時の振り返り…と言いつつ最終的には自分で自分を労る。

さぁこれから介護日誌を…と思って、何から書いていこうかと考えました。

やっぱりまずは介護認定を受けるまでのあれこれかなと。

 

「救急搬送→入院→転院→いろいろ手続き→退院→在宅介護開始。あー大変だったよなー。」

というざっくりとした感覚だったものが、改めて過去の手帳を見返すと、意外と忘れていた諸々。
手帳には、その時の気持ちや関係のない出来事などもごちゃまぜに書いてしまっていたので、改めてここに整理して残しておきたいと思います。
 
■■母が要介護認定を受けるまで■■

□いつもと変わらない朝…のはずが、母に異変があり⇒
ソファに座った母に声をかけても反応なし。
再度声をかけるも、かろうじて聞き取れた返事は明らかにろれつがまわっていない。
加えて脱力感。
 
⇒救急車を呼んで病院へ搬送されて⇒
なんかやばいぞ…?と嫌な予感がして119番で救急車を要請。幸い、受け入れ先の病院がすぐに見つかり、通報してから約30分後には病院に到着しました。
 
⇒主治医の先生から説明を受けて⇒
それから1時間ほど経って担当して頂いた先生に呼ばれる。
脳出血との診断で、これ以上出血が止まらなければ手術が必要です、と。
結果的に手術には至りませんでしたが、大きな後遺症は免れないとのことでした。

⇒緊急入院が決まり、入院の手続きをして⇒
看護師さんから必要な書類をもらいながら、簡単に面談。我が家、若干複雑な家族構成をしており看護師さんを混乱させながらもエコマップ作成。
 
⇒入院中、医療相談員と転院先についての話し合いがあり⇒
母(家族含め)の希望は自宅復帰。
そのために必要なリハビリが出来る施設を案内して頂きました。

⇒転院先の相談員と転院についての面談をして⇒
我が家、若干複雑な家族構成をしており相談員さんを混乱させ(以下略)
 
⇒転院後、リハビリが始まって⇒
緊急入院から約3週間後にリハビリ目的の病院へ転院しました。
 
⇒介護認定と身体障がい者手帳交付の申請のため区役所に行って⇒
保健福祉課の介護保険障がい者相談のコーナーやら、国保年金課やらを行ったり来たり。でも職員の皆さんが優しかった…。

⇒訪問調査・家屋調査があり⇒
自宅復帰できるようリハビリ計画を立てるため、施設職員の方々に家の間取りや自室、トイレ・浴室の構造などを確認して頂く。

⇒退院準備、自宅で生活のシミュレーションなどがあり⇒
自宅で実際にトイレや入浴を行えるように練習を行いました。

⇒栄養指導を受けて⇒
施設内の管理栄養士さんからの指導を受ける。
母の場合はあまり厳密な食事制限はなく、減塩を心がけてくださいねーというくらい。

⇒自宅に福祉用具が設置され⇒
介護用ベッドやら手すりやら、室内の段差を解消するスロープやらですね。

⇒母、退院する。
午前中に退院し、午後に担当者会議。
当時、要介護3の認定を受けました(2024年現在、要介護2へ変更)。週に3日、半日のデイケアに通っています。
 
■■こんな感じで、現在に至ります。■■

怒涛の4ヶ月間でした。
目まぐるしく過ぎていく日々を忘れまいと、とりあえずメモしていたのでしょう。でもそのおかげで、今の私が当時の自分を褒めることが出来ています。
私、人生で一度も救急車に乗ったことなかったんですよね。
初めての救急車体験が、まさか母の付き添いになるなんて。
 
往復2時間ほどかかる病院へ週3~4日の頻度で通いました。その間に、関係機関との連絡のやりとりがあったり、春には娘が幼稚園に入園予定だったのでその準備なども重なったりで。
走り抜けた感。本当よくやったわ、自分。
そして手帳に書き残しておいてくれた当時の自分も、グッジョブ。
 
■■余談ですが…■■

母が搬送されたのが2019年9月でしたが、実は年明け2020年の元旦、叔母までもが救急搬送され入院する事態になりました。年末からの風邪をこじらせた肺炎で。
(救急隊員の人に「このマンション最近来たことがある気がする…」と言われる→それ、間違いなく我が家でございます)
自宅を起点として正反対の2ヶ所の病院をハシゴすることもありました。
もう一度言う。
本当よくやったわ、自分。